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zoom RSS 8月6日原爆の日

<<   作成日時 : 2009/08/06 20:30   >>

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毎年この時期になると出てくる原爆と終戦の話ですが、原爆が有ろうと無かろうと、いつか何らかの形で日本の敗戦と言う形で太平洋戦争が終わったのは間違いはなく、そういう意味では、原爆のために戦争が終わったということはありえません。

たとえば、昭和20年秋に始まる本土決戦と8月9日のソ連参戦後、昭和21年あたりに北海道から東北がソ連に、関東以南がアメリカに占領されて、昭和21年のある時点で天皇陛下は皇居に突撃してきた米陸軍の前に自決するという形になるのも終戦パターンの一例として考えられるでしょうね。

しかし、なぜ昭和20年8月15日(正確には10日には決定)に戦争が終わったのか?ということになると原爆が無関係なのかどうかを考えてみることがあります。


太平洋戦争の戦史を見れば、沖縄戦が終わった6月23日からポツダム宣言発表の7月26日までの約1ヶ月の間、大規模な作戦行動は日本はもちろんアメリカにもありません。軍事的に軍隊が手を上げるような局面の変化はありません。

海軍は本土決戦に向けての迎撃作戦である「決号作戦」の準備中ですし、陸軍陸軍参謀本部はソ連の参戦を晩夏から初秋と予想して邀撃計画を立てています。戦略爆撃に対しては本土決戦に向けて航空部隊を温存するようになっているので、高射砲のみが反撃する状態になっています。ソ連参戦は8月9日だったのですから、まさしく陸軍の想定の範囲内です。陸海軍の準備が後世の目から見てどうかというのは別の話です。

この状態で7月26日のポツダム宣言を迎えます。そして、ポツダム宣言を突きつけられた日本政府が取った対応は、その真意が如何なるものにせよ『黙殺』です。黙殺の意味するところは議論になるところですが、少なくともこの黙殺談話は撤回されることなく8月6日を迎えます。この約10日の間、終戦に関しては事実上何も進展していません。

本土決戦だって、一撃和平論という認識の上での作戦とするならば、戦争を終わらせるための一つの手段なので、7月末の日本はアメリカに一撃を加えられるまでは止めるつもりはなかったということになりますけど。


これが動き始めるのが、8月6日の原爆投下とそれに続く東郷外相の天皇への上奏です。8月9日の御前会議の聖断でポツダム宣言受諾が決まり、10日午前2時30分に御前会議は閉会します。ここで天皇陛下が理由に挙げられているのは、九十九里の防御陣地構築の遅れであり、空襲の激化です。それに対するアメリカの条件のために一旦受諾の結論が空中分解しますが、再び14日の聖断で受諾となり8月15日を迎える。

8月6日〜9日の間に起こったことが全てと言ってもいいのです。ソ連参戦などは想定の範囲内ですし、日本に宣戦布告が伝わった頃には全てがほぼ決しています。


ちなみに、玉音放送には『新に残虐なる爆彈を使用して頻に無辜を殺傷し惨害の及ふ所眞に測るへからさるに至る』とある一方、ソ連参戦を匂わすような文面はありません。せいぜい、世界情勢が日本に利が無いと言うだけです。ソ連参戦が重大だったのなら、それを言わないわけがないのですが。


いずれにせよ、戦争を終わらせることが出来るのは日本政府や軍部の首脳部ですから、その首脳部の意思に変化を与えることが出来なければどうにもならないわけです。(城下の誓いまで行けば否応なく戦争は終わりますが) でもって、日本首脳部に終戦を決断させたことを後世にから振り返って見れば、原爆投下によって戦争が早期に終わり、結果として本土決戦やさらに続く空襲の被害が抑制できたという見方をする人があってもおかしくはないと思います。

それは、米内海軍大将が、原爆や(陸軍の想定範囲内ですが)ソ連参戦をある意味では天佑だと発言していたことに象徴されます。何しろ、沖縄戦後、本土決戦に向かっての準備中の軍部の頭を切り替えさせるには何らかの外圧が必要で、結果的に原爆がそこに果たした役割を無視することはフェアではないと思うのです。


(2010年8月6日追加)
エノラ・ゲイ機長の息子が大統領の記念式典出席に対する不満表明のニュースでも、やはり戦争終結が早まったということに対して、同じようなアメリカを非難するような発言をネットでみますが、広島や長崎への爆撃が通常の爆撃だったとしても、8月15日に戦争が終わっていたのか?と考えれば、アメリカ人の目からそう見えてもおかしくはないでしょう。日本が降伏しない限りアメリカが攻撃を止めることはありえず、当然、爆撃を受ける都市も増える一方です。兵器工場そのものから、部品工場(つまりは町工場)の一掃に向かい、輸送ルートの拠点もターゲットになっていきます。

立場が違えば見方が変るのは当然のことですし、現実の戦略爆撃の効果(むしろ機雷投下の方が効果的だったとする見方もありますが)はともかくとして、味方の被害を小さくして戦争に勝つ手段が戦略爆撃ですから、勝つまで止めることはありえません。この場合に人的被害だけではなく、終戦後の日本の領土だって史実より小さくなっている可能性だって高いのです。南千島どころか北海道だって危ないものです。

落とした側の動機なんて、それが実験だろうと何だろうとどうでもいいことです。落とされた側に対して「何をどうすればポツダム宣言受諾、もしくは他の方法での速やかに降伏させることが可能なのか」と考えれば、問題があるのはまずは落とされた側でしょう。それとも勝っている側に「ある日突然に、極めて寛大なる終戦の申し出をしろ」ということなのか?

ポツダム宣言発表から広島への原爆投下まで10日もあります。その間、空襲が続く一方で第3艦隊による艦砲射撃も加わります。艦船に対しても7月24日の空襲で生き残っていた呉軍港の残存艦船も7月28日の空襲で「榛名」「天城」「大淀」等が着底して、ほぼ壊滅。それでもなお降伏する意思が見られなかったのだから、何をすれば「アメリカから見て、何をすれば日本が速やかに降伏することが期待できるか」を考えることが必要でしょう。

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